宗教に勧誘されて考えたこと

知り合いから、ある宗教の勧誘を受けました。

その宗教について詳しい人が来てくれるから、一度私たちにも話をきいてみてほしい、とのこと。

毎月5万円の支払いがある宗教

勧誘を受けた人は、夫と私にとって大切な人(Aさん)で、Aさんは私や夫も入信することを望んでいました。

特定の宗教にAさんが入信したということに、私たちは驚きながらも、Aさんの話を聞き続けました。

勧められている宗教は、仏教の宗派ということで、新興宗教とかではないとのこと。

宗教についてよくわかっていない私は、入信する宗教イコール新興宗教という認識をなんとなく持っていたので、頭の中が混乱しました。

話を聞くうちに耳を疑ったのは、月々に支払いがあるということでした。

月額5000円を支払わなければいけないというのです。

無宗教に近い生活を送っていた私にとっては、支払う意味が全く分からないお金。

Aさんは、入信以来、毎月支払っていると聞いてさらに驚きました。

詐欺ではないか?もしかしてAさんは騙されているのでは?という疑いが消えず、その宗教に対して、勧めてくるAさんに対して、怖いと思いました。

でも、悪い宗教ではないからというAさんの言葉を信じたい気持ちもあって、二つの気持ちがせめぎ合っているような心境でした。

毎月5万円なら無理と即答できますけど、毎月5千円ってがんばれば払えない金額でもないのかもしれない。

しかし、わが家は3歳の子供を抱える3人家族です。

毎月5千円でも、けっこうがんばって家計から捻出しないといけない金額なので、納得できる理由でないと、どんなことでもやっぱり無理です。

正直な気持ちでは、話を聞くことすら断りたかったのですが、私たちにも入信してほしいというAさんの希望が相当強く、断りにくい関係性もあり、話だけでも聞くことになったのです。

さらに入会金まで。自分で調べることは大事

Aさんから宗教の話を聞いた数日後、実際に宗教について詳しい人(Bさん)から話を聞き、いろいろなことがわかりました。

わかった結果、Aさんには申し訳ないですが、入信しないことにしました。

私たちが断るということは、Aさんの信じているものを否定することになるので、かなり勇気がいる決断でした。

こちらの伝え方次第では、Aさんとの関係が壊れるかもしれないという恐怖があったからです。

私としては、Aさんのことは人として尊敬も信頼もしている方なので、絶縁なんかしたくないし、これからも仲良く旅行に行ったり、趣味のことを話し合ったりできることを願っています。

日を改めて夫からAさんに話してもらい、正確には完全に断ることはできなかったものの、延期(人生長いからいつかは入信するかも)という形で決着がついたようです。

夫曰く、話し合いの結果は、成功と失敗の割合は半々だった、とのこと。

夫は、宗教を辞めてほしいとAさんを説得したのですが、そちらは失敗でした。

どうして辞めてほしかったかというと、お金のこともありますが、Aさんがその宗教を信じる原因となった「入信の儀式をした人にしかできない素晴らしい体験」が、嘘と分かったからです。

どうして嘘と分かったかというと、ネットで体験者が書いた詳しい内容のブログがあったからです。

宗教の名前や入信までの流れが私たちが聞いていた話と、そのブログの内容が合致したので、間違いないと確信できました。

ようするに、AさんやBさんが言っていた「入信の儀式をした人にしかできない素晴らしい体験」とは、入信してもしなくても誰でも体験できる、科学的な現象だったのです。

さらに調べていると、私たちが耳にしていない事実が判明しました。

入会金として、35万円ほどの支払いがあることです。

月額と入会金は、同じお金の話なので、セットで説明があるべきだと思っています。

説明がなかったということは、つまり、隠されたのかなと思いました。

このBさんから聞いた話と後で自分でネットで調べたことを総合すると、宗教について不審な点については、他にも挙げたらきりがありません。

宗教について詳しい話をしてくれたBさんの話の内容には、いくつか矛盾点があったり、「入信していない段階では言えないこと」が多かったりしました。

さらに、入信を急かされたりしたことも非常に気になりました。

また、気になったことを何でも聞いてと言われ、私たちが質問したら、「頭で考えちゃいけない、感覚だから」と言われました。

私はそれを言われた時、この人とはまともな話ができないと思い、一気に気持ちが引いてしまいました。

自分たちが稼いだお金を払う理由について、理屈で納得できないのに、払えますか?と思いました。

悲しかったこと、ぞっとしたこと

今回、悲しかったことは、Aさんが夫の話を信じてくれなかったこと。

ネットの情報は信じちゃいけない、と言われたそうです。

つまり、超常現象の仕組みついていくら説明しても耳に入れようとしてくれなかったそうです。

しかし、入会金のことは認めたそうです。

入信してほしいのに断る姿勢の夫に対し、Aさんが涙する場面もあったと聞いて、Aさんの本気度が伝わりました。

お互いに信じるものが違うと、話が通じないのがよくわかりましたし、もしかすると、長い人生の中で、理屈や現実よりも幻想を信じたい時期もあるのかな、と私は夫の話を聞いていて思いました。

何を信じるのかは、個人の自由ですし、入会金を払い続けていてもAさんの生活に支障がなく、心の安定が保てるのであれば、このままでも(Aさんの入信)いいのではないか、というのが私たちの結論となりました。

Aさんは、「実際に入信してから心が楽になった」ということを言っていました。「ワクワクするから、楽しみにしてて」とも。

死ぬことが怖くなくなって、むしろ楽しみになったということ??

それを聞いて少しゾッとしたというか、洗脳されてるな、という感じがしました。

この話に深く突っ込んでも、否定してもいけないと、直感的に感じました。

これからのAさんとの付き合い

Aさんのことは人として好きなので、勧誘はされましたけど、これからの付き合いは変わりなく続けたいと私は思っています。

でも、私たちが入信しないことでAさんの心中が穏やかじゃないのかもと思うと、(Aさんはいつかは私たちに入信してほしいと願っている)今まで通りにもいかない気がして、少し不安な気持ちもあります。

Aさんが入信したことで、私がAさんを見る目も少し変わりました。

なぜか、Aさん自身がそばに居なくなったような、そんな感じがして寂しいのです。

この宗教がはっきりいって良いのか悪いのか私にはわかりません。

生きること、死ぬことが不安で不安でたまらない人が心を守る術として宗教を利用するという考えであれば、存在しても良いのかもしれません。

ただし、入信している間、生活が立ち行かなくなるほどお金を使わず、家族や周りの人との関係が保てるのであれば。

しかし、入信しながら平穏に生活できていても、安心はできないのかなと思います。

死ぬまで信じ続けられればまだいいのでしょうけれど、入信中に期待外れのことがあってショックを受ける可能性の方が大きいのではないかと思うからです。

その時に大後悔しても、遅いのでは?

辞めるように説得したいですが、死ぬのが怖い、死んだ後幸せになりたい、というAさんの気持ちが大きいので、なかなか難しいのです。

この宗教の目的(入信者に言っている目的)は、死後の幸せのためにいろんな活動をすること。

入信してからは、死後の不安が無くなるようです。

死後について

死んだ後のことは誰にもわかりません。

死後にも人生は続くのでしょうか。死んでるので「人生」とは呼ばないですよね。「人死」?

今生きてる人生をよりよくしたいなら、死んだ後のことを考えてもあまり意味がないように思えます。

死んだ後のことを真剣に考えても、人生の状態が良くなるとは思えないからです。

生きている間よりも、死んだ後に重点を置くという考えもあるみたいです。

生きている間の行いに気を付けることで、最悪の死後からましな状態に持って行けるという考えです。

もちろん、生きている間にはそのためのお金もかかります。

まさに私が勧められた宗教で、仏教のとある宗派の考え方です。

人それぞれ、いろんな考えや価値観があります。

これは私の価値観ですが、いつか自分がいなくなるとわかっているからこそ、自分自身や他人の尊さ、身の回りで起きることの尊さに気づけるし、小さなことでも心から感動できるし、よりいっそう豊かな人生にするために頑張ろうとするのでは?

もし、死後にも魂が続くのならば、別に生きている間にがんばらなくてもという気持ちが生じて、無気力になってしまいそう。

今回勧められた宗教は、生きている今ではなく、死後をよくするために今の時間やお金を投資しなさいという考え方に思えて、私はどうしても賛成できない。。

時間やお金は、生を豊かにするために使いたい。

そもそも死後のことを考える必要があるのか、私は疑問です。

考えるとしたら、自分の死後も生き続ける人たちのことでは?

生きる意味

私は、その人がどう生きたかということが、子どもや後に生きていく人の心に残っていくものだと思っていて、それこそが一人の人が生きる意味なのかなと思う時があります。

「人のために生きる」っていろんな考え方があると思うけれど、自分の楽しみややりたいことを追及して生きる姿そのものが、誰かに勇気や希望を与えているという考え方もありなんじゃないかと思います。

自分のやりたいことが「人のためになること」なら、そのまま生きればいいとおもうけれど、「人のために生きよう」、「人の役に立つ人間になろう」という考え方を他人に押し付ける人は苦手です。

私は私で、自分の好きなことをやりながら、ひっそりと楽しく生きていきたいと思います。

・・・長くなってしまいました。宗教の話していたのに、最後は生きる意味の話。文章の終わり方って難しいです。

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