空気がまだまだ冷たい、ある日の朝。
父に運転してもらい、娘の保育園や私の職場に送ってもらうことになっていました。
車はそのまま父に預けて、タイヤの交換してもらう予定でした。
あと数日で3月も終わります。
時の流れが早すぎて、目が回りそうな今日この頃。
大人しい娘ににんまり。
そんな、いつもとは少し違う朝。
私はいつものように荷物を車に乗せていると、父が家から娘を抱えてやってきました。
父の手によって、すんなりとチャイルドシートに収まる娘。
小躍りしたくなる気持ちを抑えて、車に乗り込む私。
最近は、娘をチャイルドシートに乗せることが毎朝の困りごとの一つでした。
なぜかというと、
私が娘をシートに降ろそうとすると、いつもなら泣き叫んで必死で抵抗してくるからです。
それが!なんということでしょう✨
大人しく指を吸ったり歌ったりしているではありませんか。
娘の泣き声なしのこんなにスムーズな出発は久しぶりです。
なぜチャイルドシートを娘が嫌がるのかはわかりませんが。
おそらく、娘は外に出たらお散歩できる!と思っているようで、
自分の思いとは異なり、車に乗せられるのが嫌なんだと思います。
娘が一番感情を出せるのは誰?
無事に娘を園に送り届けて車内で父と話している時のこと。
「今日は娘、シートに乗るとき大人しかったなぁ。」
ほっとした私が、さきほどの珍しい出来事を思い出してそう呟くと、父は、
「そりゃあ、一番感情を出すのは母親やでなあ。」
その言葉がチクりと心に刺さったのです。
そのあとすぐに話題を変えた父の話の内容が耳に入ってこず、
しばらく考えてしまいました。
感情を一番出せるのは母親。そうなのかもしれません。
私はそのことをちゃんと考えていませんでした。
娘があのとき大人しかったのは、なぜでしょうか。
もしかしたら、我慢していた?
幼い娘が自分の気持ちより何かを優先した?
一方で私は、本当に自分のことしか考えていませんでした。
娘が感情を出してくれることは、良いことなのに、
毎朝嫌がる娘のことをただただ、億劫に思っていた自分が情けないなーと。
もし娘自身は我慢したという感覚はまだなかったとしても、
いつもその可能性に目を向けて気づいてあげられるママになりたいものです。
イヤイヤ期の娘に伝えたいこと。
次の朝、昨日のことはなかったかのように、娘はいつも通りに戻りました。
玄関から外に出ると、車とは反対の方向を目指し、
階段を後ろ向きに手をついて降り始めるのでした。
時間は一刻を争っているというのに。
遊ばせてやりたい気持ちは山々なのですが、
急いでいる時は、どうしても無理なのもは無理!
仕方なく、体全体で激しく抵抗する娘を抱えて車へ向かいます。
近所中に泣き声が響き渡っていると思われました。
今娘に伝えたいことは、二つ。
感情を出すことは絶対に否定しない。受け止める。
だからこちらの都合も少しは受け止めて、といこと。
「出発進行~♪」
激しい泣き声ととともに、今日も一台の車が走り出しました。
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